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2012年 05月 21日
金環日食
Heavenly body

今朝の日本はいつもとは少し違った喧騒と興奮で包まれていたことだろう。日本では25年振りだったか、金環日食が観測することができるのは。とにかく、全国各地で非常に珍しい自然現象が確認できたということだけは確かだ。

しかしながら、なにぶん通勤や通学などの時間帯で何かと忙しい朝方の事だ。残念ながら見たくとも見ることができない方も少なからずいただろう。もちろん、ただ単純に興味がない人たちだっている。

かくゆう私も、ニュースの話題や量販店で売られている「遮光グラス」をただボンヤリと眺めていたクチだ。どちらかと言えば件の「遮光グラス」の売上の方が気になっていたくらいだ。いったい一つ幾らくらいで売られていたのだろう・・・

そんな私も今日は久しぶりに朝方の太陽を地上から見上げることになった。理由は近くの学校の生徒や教師の喧騒が何とも気になってしまったからだ。ニュースを見れば金環日食が既に始まろうとしているではないか・・・

天照大神も八百万の神々の笑い声につられて天岩戸の扉を開けたくらいだ。どうやら私ごときが抗うことができる類の誘惑ではないらしい。何も自分の「野次馬根性」を誹られることを勘ぐって「天岩戸」の話を持ち出した訳では断じてない・・・

あり合わせの物で何とか「遮光グラス風」のものを作り、外に出て空を見上げた。金環日食以前に朝方の太陽を眺めるのはこんなに気持ちが良かっただろうか・・・新年の初日の出すら見ることがない私には、久しぶりに直視する太陽はとても新鮮だった。それにしても、日食とは何と奇妙奇天烈な現象だろう。

古代の知識人達がその生涯をかけて探求した知識の結晶である人類の叡智。その一端を無償教育によって私は知り得ることができた。とんでもなく大雑把な認識でいえば日食の理屈はそれほど難しいものではない。

正にこの星は動いている。日食は四季の変化で感じるそれよりも、更に濃厚にその事実を我々に伝える。現代人の我々が単なる自然現象として当たり前に認識している日食。

しかし、この自然現象を目の当たりにした古代の人たちは、時に恐れおののき、あるいは驚喜したりしたのだ。そして、その真理をつきとめるべく天才たちがその生涯をかけた結果、我々はただ漫然と「遮光グラス」を片手に日食を楽しむことができるようになった。

地上から見上げた太陽を見て、金環がどうのとか、雲が多いとか、そんなことは些末なことに過ぎないと思った。遥かなる悠久の歴史、連綿と受け継がれる叡智、そしてこの星に生物が存在する奇跡、そんな至極当たり前のことに胸が締めつけられる思いだ・・・

少し前に見た映画「アレクサンドリア」を思い出す。舞台は古代エジプトの都市「アレクサンドリア」。主演のレイチェル・ワイズ演じるヒュパティアは天文学者だった。世界七不思議の一つに数えられる「ファロス島の大灯台」、「アレクサンドリア図書館」、子供のころから私はこの手のものに食指が動いてしまう。

また、幼少のころに夢中になって読んだ漫画、「横山光輝の三国志」も脳裏をよぎる。作中、時の権力者は天文官を呼びその吉凶を占わせ、場合によっては祈祷師に祈りの儀式を執り行わせていたからだ。

天文学者のように星を読み天候を知る天才軍師の諸葛孔明。その神算鬼謀と八面六臂の働きには小学生ながら本当に憧れたものだった。

少し離れた学校のグラウンドで空を見上げ感嘆の声をあげる学生達。天体望遠鏡を持ち出して日食を見ているのは、理科の教師か天文部の顧問だろう。学生時代のように若い時分の体験の全ては、何ものにも代え難く貴重なものだ。

個人的には、大人になってからのそれとは天と地ほどにも違いがあるように思う。きっと、あの子たちにとっては自らを形成する部品として大切な一体験となったことだろう。もしかすると、傍らに立つ教師は金環日食などよりも、そんな体験を生徒達と一緒にできることが嬉しいのかも知れない。

笑い声に誘われ、何とはなしに表に出て月に浸食される太陽を見上げてみたが、同じように空を見上げ興奮する学生達の喧騒が何とも耳に心地良い。早起きは三文の得というほどの早朝ではないが、なるほど言い得て妙だ。


# by koguchi-jimusho | 2012-05-21 19:07 | 日記 | Trackback | Comments(0)
2012年 05月 08日
お揃い
Wallet

前回の更新からだいぶ時間が経ってしまったが、今回は財布についての記事を書こうと思う。

財布は意外と人の目につきやすいものなので結構気を使う人が多い。使い勝手を優先する人、ブランドにこだわる人、見た目の装飾やデザインを優先する人など、とにかく色々な方がいるだろう。

私もブランドや見た目の装飾やデザインで選んだこともあるし、勝手を優先した財布を購入したこともある。これらの全てを満たす財布が理想だが、現実にはそうそうあるものではない。

仮にそのような商品が存在したとしても、みな考えることは一緒なので結局は他人と同じ財布になってしまうことが良くある。もちろん、これ自体は全く問題のないことだし、気にならない人は全く気にならないだろう。

だが、私はそれなりにこだわって選んだ商品である以上は、なるべく人と同じものは避けたい。男性の方には、このような考えの方が意外と多いのではないだろうか?

反対に女性は他人と同じブランドや商品というものに安心感を持つ方が多いように感じる。これは流行というものに対する意識が男性と女性では大きく隔たりがあるせいなのかも知れない。

やはり、どちらかと言えば女性の方が流行には敏感だ。もちろん男性のファッションにも流行はあるが、根本的な部分にはあまり変化がないので、男性の場合はあまり過剰に流行を意識する人は少ないように思う。

少し話が逸れてしまったが、このような事情もあり、最近ではオンとオフの財布は専ら分けて使用することが多い。以前は何とかオン・オフ双方の条件を満たす財布を頑張って捜していたのだが、そうすることに些か疲れてしまったという理由も少なからずはある。

私が購入した財布は主にカードと小銭入れだったのだが、今回はデザインと素材にこだわることにした。なので、使用するシーンを含め使い勝手は良くない。

ちょうど、以前に兄が似たような容量の財布を探していたことを思い出し、今回はお揃いの財布をプレゼントしてみようと思い立った。兄とはお互いの嗜好を良く理解し合っているので価値観の押しつけにはきっとならないだろう。

プレゼントしたものを使ってくれているところを見たいという思いは贈った者のエゴでしかないが、やはり気に入って使用してくれることが一番嬉しい。

ちなみに、私が選んだ素材はルガトーというトラ模様の光沢が美しい牛革で、兄にプレゼントしたものはフィンランド・エルクの皮革を使用したものだ。エルクの革は一般的な鹿革の特性に似ているが、鹿革よりもかなり肉厚なのに非常に軽い。

素材以外は全く同じものだが、それだけでも雰囲気は随分と違ったものになってしまうところが何とも面白い。皮革製品は兄も好きなので、あとはエルクという他人があまり使わない革の財布を気に入るかどうかだ・・・

正直、頻繁にこの財布を使用することはないと思うが、デザインは悪くないし何より丈夫そうなので今回はなかなか良い買い物ができた。

とにかく、あまり使う機会がない財布に、私はいたく満足している。



# by koguchi-jimusho | 2012-05-08 22:56 | 服飾関連 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 18日
田舎
季節感

先日、生家のある茨城のお客様から法人関係のお仕事をいただいた。仕事の内容は会社設立や契約書作成などといった仕事だったが、とりあえずその話は置いておくことにしよう。

実家には年末に帰郷したばかりだが、先日母親が仕事中に怪我をしたという話を兄から聞いていたということもあり、実家にはどうしても立ち寄りたかったのだ。

とは言え、そのような事情などなくとも田舎が大好きな私が実家に立ち寄らないなどということはないだろうが・・・ただし、仕事が最優先事項だ。少し言い訳じみて聞こえるだろうか。

このような事情もあり、幸か不幸か今回の出張はタイミング的に申し分がなかった。予定していた仕事は無事に終えることができ、また、母親の怪我もそれほど大袈裟なものではなかったので安心することもできた。

私は兄弟と非常に仲が良いため兄や弟と会えたことも嬉しかったし、可愛い盛りの姪も意外と懐いてくれたので良かった。丁度人見知りする頃合いだと思うのだが、どうやら個人差が結構あるらしい。

さて、あまり話がわき道に逸れてしまうと本題にいつまでも入ることができないので、この辺りで強引に話題を変えさせてもらうことにしよう。

都会で生活をしていると季節感というものには疎くなる方が意外に多いのではないかと思う。私なんぞは、単純に暑くなった寒くなったという感覚しかなくなってきている。

実際、春だというのに桜が咲いた散ったという程度の認識以外にこれといった季節感を感じることはない。雑多な繁華街やオフィス街の中にいると、まるで自分が不感症にでもなってしまったかのようだ。これは多分に私の活動形態などのせいでもあるのだが・・・

しかし、田舎に帰ると、無機質だった私の心はすぐにでも人間らしい感性を取り戻す。何故だろう、今の私には丹精を籠めて作られた都会の花屋にある花などよりも、裏の畑に生えている雑草のほうが愛おしい。

そこで今回は、実家から数秒の範囲で出会った動植物達を写真と共にご紹介したいと思う。本当に何てことはないものばかりなのだが。


「春になって花を付けるのは何も桜ばかりではない。雑草だって綺麗な花をつけるのだ。」そんな声が聞こえてきそうな雑草たちを代表しての1枚。


母親が裏の畑で栽培している野菜達だ。裕福になった気がすると言えば語弊があるが、何故か満たされる思いだ。


家の周りに咲いている山椿。椿は屋敷周りに相応しい花とは言えないのかも知れないが、綺麗な花を付ける。また実からは椿油が取れる。


兄と母親達が一冬をかけて裏の竹林を伐採してくれたお陰で、近くの川が見えるまでになった。ひっそりと静まりかえった田舎の夜に水の音が心地よく響く。



マムシ草などと呼ばれている植物だったと記憶している。些か気持ち悪い・・・


裏庭の梅の木に花の蜜を吸いにきたメジロが可愛かったのでパシャリ!特に雄鳥は鳴き声が良い。


私も仕事で帰郷したが、コイツも仕事中のようだ。







母親が趣味で育てている花たち。沢山ありすぎて撮影しきれない・・・


私が大好きな野鳥である雉を発見!


フォーカスしていたのがバレてしまった・・・もちろん、フラッシュなどは使用していない。10倍ズームでこの大きさなので、結構な距離があったと思うが野生の勘は恐るべし。


ようやく、それっぽい1枚が撮れた。しかし、高性能なカメラでないのが悔やまれる。と格好はつけたものの、例えそんな立派なカメラがあったところで私には勿体ないのだが・・・

仕事がメインだったとは言っても、旅行などに出掛けることが滅多にない私には良い気分転換となった。ちょっとした記念にもなるだろう。

私と同じような境遇の方にとって、桜以外での季節感というものをご紹介できていれば幸いだ。

# by koguchi-jimusho | 2012-04-18 02:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 09日
春野菜
回鍋肉

先日のことだが、近所のスーパーに日用品の買い出しに出掛けた。「先日のことだが・・・」などと格好はつけたものの、私は結構な頻度でスーパーに通っている。なぜなら、誰も生活必需品を買ってくる者が自宅にいないからだ!

さて、少し興奮してしまったが、先のような理由もあり私はスーパーのことに詳しい。毎日のように通っている主婦の皆さまほどではないにしろ、特売日や商品の陳列、どの商品がお買い得かなどについて本当に良く把握している。

まったく、一男子たるもの、こうはなりたくないものだ・・・

当然、スーパーには肉や魚介類、野菜などの生鮮食品が売られている。これらの食材は、他の商品と違い「季節や時期」というものに大きく影響を受ける。つまり、旬かそうでないかだ。

魚介類などは特に、一定の時期にしか店頭に並ばない食材が多い。野菜に関しても同様で、新じゃがや新玉ねぎ、春キャベツに春ごぼう、などといった商品はその季節にしか店頭に並ばない。ゼンマイやフキ、たらぼうの芽などの山菜が良い例だろう。

食材にもよるが、魚介類は旬の時期のものについては比較的に値段が安くなっている場合が多い。アジやサンマといった家庭料理に馴染みの深い魚などは本当に安く買うことができる。

反対に、野菜は若干値段が高いことが多い。これは食材について生産者が存在するか、しないかが影響しているのだろう。詳しく調べてみないと分からないが、もしかすると、養殖に限って言えば魚介類も旬の食材は若干高くなっているのかも知れない。


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# by koguchi-jimusho | 2012-04-09 22:22 | 日記 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 07日
春の装い
Baracuta

吹く風はまだ少し冷たいが、だいぶ春らしい陽気になってきた。仕事やプライベートで着る洋服も衣替えの時期なのだが、私はあまり春先の装いというものが好きではない。

女性などからすると、パステルカラーやペールトーンの洋服が沢山出回るスプリング・ファッションは非常に楽しいようだが、私にとって、春先のお洒落はとても憂鬱だ。

私は、赤やオレンジといった派手な色も好みなので、いかにも春らしいカラーの洋服が嫌いという訳ではない。私がどうしても好きになれないのは、いかにも春らしく軽やかな素材感のほうだ。

ペラペラなシャツに、これまた同じペラペラのジャケットやコートを羽織る、という行為に何となく抵抗があるのかも知れない。「厚手でしっかりとした作りのシャツを着れば済む話なんだよな・・・」と、心のどこかで思っている自分がいる。

春物の洋服であれば、春先から初夏ぐらいまでの着用を想定しているだろうから当然と言えば当然なのだが、私は、あのペラペラ感がどうしても好きになれない。洋服として頼りがいがない、と感じてしまうのだ。

もちろん、様々なコンセプトで作られるものなので一概には言えないが、耐久性などに非常に不安のある洋服が多いのも事実だ。

春物の洋服は裏地の省略などは当たり前に行われているが、「涼しく着られるように」というよりは、手抜きと見られるような洋服も多い。着心地などを考慮すれば、ジャケットなどの裏地は省略しない方が良いではないかと個人的には思ってしまう。

第一、裏地を省略したところで、それほど涼やかになる訳でもない。テーラード・ジャケットなどでは特に、丁寧な仕事をしているという感じがしないのだ。

私は洋服作りの知識が乏しいこともあり、「裏地がないのならもっと安くなってしかるべきだろう」などと、貧乏丸出しの疑問を抱いてしまう。

着用する期間や季節が極めて限定的であるにもかかわらず、春物の洋服は意外と高いのだ。だからこそ、丁寧にしっかりと作って欲しいと思うのは中年が故の我が儘だろうか・・・


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# by koguchi-jimusho | 2012-04-07 13:36 | 服飾関連 | Trackback | Comments(0)


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